見えなくなった頃のこと

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私の右目は、小学5年生で自分でも気づかない間に視力がなくなっていました。

でも、そんなことは関係なく、元気で活発な子供だったと思います。

休み時間は全力で鬼ごっこをしていましたし、自転車はご機嫌に手放し運転していました。

残った左目は中学3年の時に網膜剥離の手術を数回受けました。

手術後数日は大きなガーゼで抑えるため、一時的に全盲の状態になりました。

片方見えていた状態から数日間の全く見えない生活はとても不便なものでした。

みなさんが今、アイマスクをはめた状態を想像していただいたらいいかなと思います。

病室は個室でしたので、トイレなどは手探りで行けます。

が、食事が一人ではできませんでした。

今は見えなくても当たり前に自分で食べますが、手術後ガーゼが外れるまでは母が病室に泊まって毎食食べさせてくれました。

ベッドの上にテーブルを挟んで座って、
「次御飯ね」
「次はお肉」
という感じで口に入れてくれました。

その後なんとか学校生活に復帰しましたが、結局一年後には手術した左目の視力もなくなり全盲になりました。

食事は慣れて自分でできるようになりましたが、当初はコップを倒しよく割っていました。

お味噌汁のお椀もよく倒しこぼしていました。

夫も目が見えなくなった頃は同じような状況だったそうです。

そしていつの間にかコップは倒さなくなり、お味噌汁はこぼさなくなりました。

距離間を計れるようになった
手を丁寧に出すようになった
のだと思います。

それだけでなく、精神面も徐々に変化しました。

以前、母から言われたことがあります。

見えなくなった16歳当時は、例えばディズニーや流れ星などの話に対し「ふ~ん」という受け答えだったそうです。
行ってもどうせ見えないし…という感じだったとのこと。

今は、ディズニーや流れ星という話題に対して、楽しそう、私も見に行きたい!などと変わっています。

そしてディズニーは本当に大好きで、見えなくなってからも何度も行きました。

実際に「見て楽しむ」のではないのですが、見える家族などから説明を聞いて、見える家族が感動している様子を一緒に分かち合うような感じでしょうか。

雰囲気を楽しめるようになっているのだと思います。

自分でも16歳当時は、世の中がグレー・モノクロに感じていたのに対し、

今は一緒に出かけたガイドヘルパーさん、母、娘、友達から説明を聞いて、思い浮かべる景色は自然と明るくカラーでイメージできるようになっています。

16歳の終わりから夫と一緒に過ごすようになったことも、世界を明るく感じられるようになった大きな理由だと思います♪

私の人生、目が見えなくなってからの年月の方がすっかり長くなりました。

見えないからこその人生を、私は楽しめていると思います。

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