長女の半生

スポンサーリンク

市の職員として働き始めた長女。
もうすぐ3か月が経ちます。

職場の方々にも恵まれ、
窓口業務や電話対応も少しずつさせてもらえているようです。

1歳8ヶ月から右脳開発の七田式の教室に通い、
夫の両親がお支払いをしてくれる子供チャレンジ・進研ゼミを受講し、
小学3年生で授業だけで理解できないところが出てきて私の親友に勉強をみてもらいました。

小学5年生から大学生の家庭教師に来ていただき、
中学3年間進学塾で勉強をしました。

希望の高校に合格すると同時に塾は終わり、勉強するのをやめてしまいました。

それでも大学には行くのだろうと親子で漠然と思っていて、
授業料が比較的安い塾の夏期講習に行ってみたり、
営業でかかってきたパソコンでの学習の教材を購入してみたり、
自宅からすぐ近くの個別塾に通ってみたりしました。

今の私なら、次女の子育てには選ばないことがいくつもありますが、
これら一つ一つ決める時には真剣で、
当時の私と長女には必要な選択だったのだと思います。

この全てがあったから今があると思えます。

高校受験前、
入会していた楽しい子育て実践会の主催者の方に鑑定してもらった中で、
長女について「勉強を、そんなにがんばれる子じゃない」と教えていただき、
がんばらせて高望みするのをやめて、
長女が決めた、自宅から近い、合格可能性の高い高校に志望校を変更しました。

割と余裕を持って合格しましたが、そこは国公立大学を目指す進学校でした。
「勉強はもうしたくない、大学には行きたいと思わない」と言うので、
どうしたものかと困っていました。

そんな、一昨年、高校2年の春に、

長女にとってはかっこいいかどうかが基準、
上からはかわいがられ下ともうまくやるコミュニケーションの達人、
大きな組織の中で真面目に力を出せる…
など、長女の生まれ持った能力について知ることができました。

それから考えて調べて話し合って、夏に
『公務員試験にチャレンジする』
という進路が決まりました。

昨年1月からの3か月間、公務員塾の先手必勝講座を受講し、
6月からも3カ月セミナーを受講する予定でした。

ただ、9月にある公務員試験までの夏の時期は、長女にとって箏楽部の全国総合文化祭と重なることがわかっていました。

高校総文は、3年連続出場、長女たちが最上級生のラストの年です。

8月のお盆前に4泊5日で高知県に行くことが決まっていました。

公務員試験に向けて勉強しなくてはいけない時期が、部活も本番前の大事な時期になります。

塾と部活の時間は重なりますので、両立は難しいだろうと思っていました。

全国大会をあきらめて部活を早く引退し公務員試験に集中するか、
公務員試験の塾を欠席して部活をやりきるか・・・

昨年、3月から5月末まで緊急事態宣言で休校となり、
塾の公務員コースの講座も開講が遅れました。

長女はお箏の先生に、
部活には最後まで所属をしてみんなと一緒に引退したいこと、
公務員試験を受けるので全国総文のメンバーから外していただきたいことをお願いに行ったそうです。

その後、全国総合文化祭は高知県には行かずリモートで開催されることが決まり、
撮影まで時間もないということで、以前やっていた曲を演奏することになりました。

長女は演奏に参加し、みんなと一緒に部活を引退。
そして翌週から公務員の塾が始まったのです。

考えによっては、
部活を最後までやりたいから公務員の塾には行けない
時期が重なるから部活は春で退部して公務員試験に集中する
など、
どちらかを早々とあきらめていたかもしれません。

やれるだけやってみようと丁寧に考えているうちに、世の中が変わる程のことが起こり、
塾の開講が遅れ、公務員試験の日程も遅くなり、
8月予定の全国総合文化祭が6月に撮影した動画を送るという開催になったり、

これら全てが長女のためなんじゃないかと思うほどでした。

思えば、長女は早いうちから勉強は好きじゃなかったのだと思います。

やればできる子だからと、がんばらせたのは私です。
高校受験まで、よくがんばってくれました。

公務員試験にチャレンジすることを決めてからは、
自分の意志でがんばっていました。

ちなみに、
公務員試験に不合格だったらと第二希望で考えていた専門学校には、手違いがあり申し込みができませんでした。

この1回で公務員に合格できなかったら、多分もうチャレンジはしないと長女は言っていました。

昨年はとにかく思いがけないことの連続で、
もちろん本人の努力が一番だったでしょうが、何か強い追い風が吹いていた感じがします。

我が家にとって奇跡のような一年間でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました