悲しい話として読んでほしくないのですが、
私は
14歳の終わりから41歳までの間に14回の手術や治療を受けました。
全身麻酔の手術が6回、
局部麻酔の手術が4回。
目の手術が6回、
頭部の放射線治療が2回、
その他は膵臓や副腎や腎臓の手術や治療です。
中でも
14歳から22歳までの8年間に11回が集中しています。
22歳で結婚してから13年間は手術なし。
34歳で1回、41歳で2回の手術と治療を受け、現在に至る。
手術とは関係ありませんが、出産は24歳と35歳でした。
実際に私を見た人は、
まあ、こんなに手術を受けてきたとは思えない程、普通に元気に見えると思います、多分。
当の私も
あの時の注射は痛かったな
とか
あの麻酔の先生は下手だったな
とか
あの先生優しくて好きだったな
とか
あの先生は私が痛くて苦しいのに笑っててイヤだったな
とか
病気自体が辛かったという思い出はなく、
ただただ経験として客観的に語ることができます。ネタです。
どの入院も、退院する頃には必ずといっていい程、
生まれ変わったら看護師になろう
外科医になろう、助産師になろう
と思うくらい、
医療従事者の方々はすばらしいなと感じます。
胸の良性の乳繊維腺腫以外は、
全て私の元々の病気である、VHLの関連の病変です。
耐えられるから、乗り越えられるからその人にそのようなことが起こる
と言われたら、
本当にそうだろうなと思います。
手術を受けるようになって以降、強いね、えらいねなど言っていただいたりしましたが、
自分では自分のことを強いと思ったこともなく、
強くないと思ったこともありません。
ただ受け止め、受け入れ、ある意味あきらめて?心を静めていたような・・・
私は、
小学校低学年の時に何か病気だとわかり、
将来的には目が見えなくなるかもしれないとわかり、
両親や祖父母が何やら心配しているのを感じて、
『私は平気にしていよう』と思いました。
『たいしたことはない』と思うことにして、自分の中でそう決めたのだと思います。
不思議と、自分が病気と思い知らされショックだった一番の記憶は、
中学校に入学したら陸上部に入っていいかと聞いて
眼科の先生から「体育の授業はいいけど部活まではやめとこう」と言われた、そんなことです。
病院の帰り、祖父の車の後部座席で
寝たふりをして泣いて、
その時に
『やりたいことができないんだ。思い通りにはいかないんだな」
ということを、大げさですが悟った…?ような気がします。若干12歳。
そしてその後、
いいのか悪いのか、
どんな状況の中でも割と平気に楽しめる私が出来上がりました。
目が見えなくなっても、
まだ学生だった私には両親と祖父母と兄がいてくれたので、
生活する上では何も困ることがなく、
普通にしていられました。
中学生での入院は、
これまで厳しくてこわいと思っていた母が付き添って泊まってくれたことで、
心配してくれるんだな、私に時間を使ってくれるんだなと愛情を感じる出来事になりました。
高校生で頭部の放射線治療を受けに県外まで行った頃は、
自分にはきらきらした普通の女子高生はできないのかなと落ち込んで、
その後盲学校で夫と見えなくても楽しい恋愛が始まることとなりました。
結婚前に膵臓や副腎の摘出手術で入院したことは、
自分の病気、健康、人生などについて考えるきっかけになった気がします。
このような経験をしたことで当たり前の日常に感謝できるようになり、
明るく楽しく生きていきたいと思うようになりました。
そんな私が親になり、
娘たちに伝えたいことは、
何が起きても大丈夫
与えられた状況の中でどう受け止めてどう生きるかは自分で選べるんだ
楽しんだ方がいい
笑っていた方がいい
全てはいいようになっている
全てがあったから今がある
感謝していれば周りの人はきっと助けてくれる
お母さんはそうだったよ
ということです。
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