小学校で長女を2年間担任していただき、部活でもお世話になった先生(男性)から、
小学校卒業後の食事会で夫と私に直接お話いただいた内容です。
「教員の中で『承認』という言葉が使われます。
それは子供が親によく言う
「お母さーん、見てぇ」
というのにどれだけ応じてあげたかが大きい。
家庭でそれが満たされていないと例えば授業中に大きな声で
「はい!はい!はい!」
と自分を見て!とアピールしたりする。
Rちゃん(長女)のご両親は目が見えないのに、
Rちゃんは、それが充分に満たされているように見えます。
どうやって子育てされたのか、ずっと聞いてみたかった。
こんなことを聞いていいのかわかりませんが、
見えなくて、子供への対応はどうされているのですか?」
と言われました。
そのようなことを言われたのは初めてだったので、私も夫も少し驚きましたが、
答えは簡単でした。
私たち夫婦は目が見えませんが、
普段のいろいろなことに対して、子供たちは「見てぇ!」と言います。
そして私たちは、普通にそれを見ます。
見えてはいないのですが、顔をそちらに向けて、子供のうれしそうな声に応じるのです。
「おー、できたねぇ」
「すごいねぇ」
「がんばったんだねぇ」
「かっこいいじゃん」
といいながらそちらへ手を伸ばします。
見てほしいのが作品など物であれば、
どうなってるの?と人差し指を出すと
子供は、その指を持って
「ここが○○で、ここが○色で…」
などとうれしそうに教えてくれます。
見てほしいのが自分がやっていることであれば、
子供の身体を触ります。
長女は、大きくなってもいろいろな物を見せに来てくれました。
美術の作品、技術家庭科の作品、習字、遊んで作った工作やおもちゃ…。
18歳になった今でも
買い物してきたものも「お母さん、見て見て」とよく見せてくれます。
もう6年前になりますが、
担任と部活で小学校4年間お世話になっていた先生から、
長女のことをそのように言っていただけたことは、とてもうれしいことでした。
子供と接するのに、私たち夫婦は意識せずその子を当たり前のように『見て』いました。
目が見えているかどうかではなく、
子供の姿が実際に見えているかではなく、
気持ちの問題、心をどれだけ子供に向けているか、
愛情の問題なのかなと思うことができたお話でした。
コメント