現在18歳になる長女は、
思えばいくつもの習い事をしてきました。
1歳8ヶ月から七田式という右脳開発の教室に通いました。
始めたきっかけは、英才教育をさせたかったというより、
視覚障害の両親の家に生まれた長女には
色や動物の名前など日常的に教えてやれないため、
テレビ画面を指さして「あれ、なーに?」
絵本を見ながら「これ、なーに?」
と聞いてくることにほとんど答えてあげられない。
どうしたらいいかなと思っていると、奇跡のようにその時住んでいた家から徒歩2分程の場所に七田式の教室があったのです。
お月謝は高かったのですが、割と迷わず入会しました。
全盲の私と1歳8ヶ月の長女で歩いて行ける場所にそのような教室があるなんて、
既にこの頃からついていた私たち。
「先生、どっち?」
と聞く私に
「ちぇんちぇい、あっち!」
と指をさす1歳8ヶ月の長女に手を引かれ、手を繋ぎ、親子で楽しく通いました。
0歳の時から、夫の両親がお支払いをしてくれるこどもちゃれんじも受講していて、
親子でしまじろうに随分お世話になりました。
小学生になるとチャレンジから進研ゼミというお勉強の通信教材になるのですが、
この頃には早くも勉強は好きではなくなっていて、あまり活用できませんでした。
年長さんから一年半ほど柔道を習いました。
夫が視覚障害者の柔道をやっていて、
当時はまだ現役でがんばっていて、日本代表で世界大会に出場していたこともあり、
お父さんにあこがれて始めました。
これまた徒歩10分弱の場所に練習場があり、
夫もお世話になっていたとてもすばらしい柔道教室でした。
鍼灸マッサージの治療院をしていたので、その患者さんで近所で子供の習字教室をされている方がいらっしゃいました。
習字はそこで一年、引っ越してからも別の教室で3年程習いました。
夫が今の仕事に転職して引っ越すのをきっかけに長女は柔道はやめ、
夫が始めていた合気道を家族三人で習うことにしました。
長女は部活に入るまで2年間、
ちなみに私は次女を妊娠するまで3年程習いました。
小学4年生から部活で吹奏楽のジャズバンドでトロンボーンを担当。
中学では部活には入らず
先生が退職して立ち上げられた中高生のジャズバンドに所属。
高校受験の前まで仲良しのお友達とかっこいいオールドジャズをいろいろなイベントで演奏させてもらいました。
高校では箏楽部でお箏(こと)を弾いていました。
お箏といっても、和楽器とは思えない、とてもモダンでかっこいい曲ばかりです。
ジャズでトロンボーンを6年、お箏を3年やった長女。
長女の演奏を聴くことは、見えない私と夫にとっても楽しい時間でした。
長女の様々な習い事を経験して、私の視点で思うことは、
特に幼いころ、一年半習った柔道で、
試合の度に視覚障害の私たちはどなたかに乗り合わせをお願いします。
行った先でも保護者の私が一人で行動できないため、
移動やトイレの誘導をお願いするのが辛くなってきました。
ブログでも書いたことのあるYとEさん親子にお願いするのは助かっていましたが、
例えば子供同士もそこまで仲良しじゃないご家族に
早朝から自宅まで迎えに来てもらい、現地でもお手間をかけてしまう。
そのような、試合の度に気を遣うのが私の負担になっていきました。
イヤな思いをしたのではなく、みなさん本当に親切にしてくださったのですが、
行くたびに
全てをお願いしないと何もできない自分を思い知り
心も身体も疲れてしまった私の問題だと思います。
そんなことを思い出し
次女には習い事をさせるのを躊躇していたところがありました。
長女の時は、
なんでも早めがいいと考えてさせてしまい、
それで勉強嫌いにさせたかな
無理やりやらせたところがあるかな ←絶対させてた
と私の中では反省するところがあります。
でも、すべてがあったから今があり、
結果長女はいい子に育ってくれたと心から思えるので、
まあ、いい思い出です。
次は10歳半離れた次女について書いてみようと思います。
続く
長女が高校の箏樂部で演奏していたのはこんな曲
YouTube 動画 夢の輪/Yume no Wa (沢井比河流 作曲/composed by Sawai, Hikaru )
小中学生の頃ジャズバンドでやっていたのはこんな曲
YouTube 動画 ビックバンドジャズ演奏 イン・ザ・ムード グレン・ミラー楽団 アメリカ空軍太平洋音楽隊 パシフィック・ショーケース In the Mood by Glenn Miller
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