見えないことの不自由、障害という壁には大きく二つあり、
一つは文字の読み書きなど情報の障害、
もう一つは行動に関する障害だそうです。
視覚障害者は白杖(はくじょう)という白い杖を使って歩きます。
みなさんも、白い杖を持っている人を見たら『視覚障害者』と気づくと思います。
白杖は、自分の胸(脇)までの長さを目安に選ぶことになっています。
ですので、その人の身長によって適切な杖の長さは違います。
そして、丈夫な一本の直杖(ちょくじょう)もあれば、
使わない時に短くたためる折りたたみタイプもあります。
素材も軽金属や、カーボン製のものなど様々です。
直杖は購入後自分で好きな長さに切ったり、オーダーで長さを注文できるそうです。
折りたたみタイプはいくつものメーカーから5~6センチ刻みで販売されています。
まだ一人で少し歩いていた頃は
ぐらつかず安定感があるという理由で直杖が好きでした。
今は、折り畳みの白杖でも十分安心して使えるよう作られています。
数年ごとに買い替えるのですが、その度に進化していて驚きます。
その『白杖』を前に伸ばし、
杖の先端を、これから歩く地面の左右にスライドさせ、障害物や段差を察知して単独歩行を行います。
自分の3歩程先を白杖で確認している感じですね。
私は小学校低学年で病気がみつかり、将来は見えなくなるだろうと言われていました。
現在の次女くらいの頃ですね。
右は小学5年生の時に気づいたら失明していて、残った左の0,7の視力でほとんど不自由なく暮らしていました。
片方だけの視力で自転車に乗ったりできたのは、子供だったからのようです。
その左目も中学3年になる頃に網膜剥離を起こし、何度かの手術の後、普通校では厳しい視力まで落ちたことで盲学校に転校しました。
夫は中学1年の終わりのある日、自転車に乗っていて目に埃が入り片目を閉じたら目の前にあった電柱が視界から消えたそうです。
気づかない間に失明していたのですね。
それから大学病院に一年間入院。
原因不明、治療法はまだなく、ステロイドと週に2回の脊髄注射などを行いましたが効果はなかったそうです。
退院直後にはもう片方もモヤがかかり始めていて、高校は盲学校へ入学となりました。
二人とも、盲学校でそれぞれ歩行訓練を受けました。
積極的な夫は、一人で行動できるようになる喜びで進んで訓練を受けていました。
私はというと、恐怖心もあり、単独歩行をできるようになりたいという気持ちがなく、
2キロ離れた自宅まで歩いて帰れるようになれたことで満足でした。
現在私は、一人での外出は行わず、ガイドヘルパー制度を利用しています。
銀行、通院、買い物、子供の行事など全てガイドヘルパーさんと出かけています。
このマンションに引っ越して8年経ちますが、まだ隣のコンビニにも一人では行けません。
夫や娘やガイドヘルパーさんと行きます。
同じ全盲の夫はというと、一人でどこへでも行きます。
職場までの歩いての通勤はもちろん、
一昨年までの次女の保育園の送迎、近くの郵便局、お店、病院、
コロナ禍になる以前は研修で福岡、大阪、京都、出張で東京まででも白杖で一人で出かけていました。
本当にすごいです。
夫は、盲学校に入ってから視覚障害者柔道を始めたのですが、
全国大会で知り合った両目義眼の先輩がお一人で日本中どこへでも行く行動力に強く影響を受けたそうです。
それまでの常識という価値観が、自分の小さな思い込みだったことを知ったと言っていました。
同じ視覚障害者でも、
一緒に暮らす夫婦でも、
私と夫はこんなにも違います。
それぞれのタイプに合った様々な暮らし方がありますね。
私はぶつかることに恐れながら出かけるより、ガイドヘルパーさんと安心して歩き、
行った先のお店や病院や学校内も同行していただける今の生活が好きです。
というか、
ガイドヘルパーさんのおかげで楽しく買い物ができたり通院できたり幸せな日々を送っています。
福祉が充実している平和で豊かな日本に感謝です。
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