視覚障害者の我が家の、子どもの学校での保護者活動について、
思い出したことを書いてみます。
長女の、小中学校の頃のPTA活動は
『一家庭一役』でした。
公平に、みなさん何か一つ役目を引き受けるというものです。
全盲の私も、毎年何かしらの仕事をさせていただきました。
小学校では
1年生 PTA総会資料のホッチキス止め(一日だけ)
2年生 お花の水やり委員(夏休みに一日だけ)
3年生 絵本の読み聞かせ委員(毎月は回ってこないけれど月1の活動)
4年生 絵本の読み聞かせ委員
5年生 絵本の読み聞かせ委員(寒くなると点字が読みづらいため秋まで毎月引き受けた)
6年生 オリエンテーリング委員(行事当日の受付係)
中学校では
1年生では、担当になった講演会をクラスメイトのお母さんと4人で聞きに行くという、楽しいものでした。
2年生では、新学期早々に発生した大きな地震による影響で活動どころではなく、
『一家庭一役』をやめて、学年委員(クラス委員)だけを各クラス4名程選ぶことになりました。
ベテランの役員さんが
「大変な仕事はありません。ほとんどは私がやります。
クラス委員は多い方が活発な意見が出ますので、4名と言わず何名でも助かります」
のような説明もあり、ぱらぱらと数名の方が手を挙げられました。
私も手を挙げて
「できることは限られているのですが、やれる範囲で協力させていただきます」と引き受けました。
PTA会費の集計のお手伝いに一日行ったのと、
グループラインで「クラス活動(レクリエーション)の案はないか」との意見交換、
「学年の最後に、子供たちから担任の先生にメッセージカードを送る」というような案を出し合ったりするぐらいでした。
3年生では、震災の影響で『一家庭一役』の委員会活動は廃止され、ボランティア制になりました。
昨年のような内容ならクラス委員をやりたいと思っていましたが、自分から手を挙げて結局できないことだらけ…というのも申し訳ないので、
アンケートでクラス委員に○をつけることができませんでした。
懇談会当日、事前アンケートでクラス委員に○がある保護者が1名のみということで、残り3名を決める話し合いになりました。
生徒数39名中、保護者は25名弱の出席。
しかし、誰の手も上がらず、くじ引きになりました。
先生がくじを作られ、なんと長女の出席番号が引かれました。
見えない私の番号を引いてしまったので先生は気まずそうでしたが、
私は「できることはお手伝いしたいと思います」と言いながら、内心はちょっと喜んでいました♪
できないことも多いのですが、何かどこかで娘の学校生活に関わっていたいというのが本音でした。
そしてこの年のクラス委員のみなさんもいい方ばかりで、無事に活動を終えました。
目が見えないのにPTAや自治会の役が回ってくると難しいことが多々あります。
長の仕事や書類を扱う仕事、
イベントの駐輪場の整備や道案内の役目、広報活動(新聞づくり)などは、
お引き受けしてもできませんのでご迷惑をおかけしてしまいます。
正門に立ってのあいさつ運動、講演会を聞きに行く役、小学校の頃の絵本の読み聞かせなど、
できることは多くないのですが、周囲の方に『視覚障害であること』を理解いただき、
娘の保護者として関わらせていただきました。
この調子で、
「両親視覚障害がありますが、何かお手伝いできることがあれば…」と書くと、
なり手がいないのか担任の先生からお電話があり、
結局高校でもクラス委員をさせていただきました。
そして、高校生活では更に保護者の出番は少なく、
高校2年の時は強歩会のポイント地点の係を頼まれ
「お疲れ様~がんばって~」と声をかける楽しい役目。
高校3年はコロナウイルスの影響で行事が何もなく、
卒業式後に担任の先生へ花束贈呈の役目だけ。
コロナ禍になる以前、
学校に集まる授業参観や懇談会でほかのお母さんにお会いしても
目が見えない私はこちらから話しかけることができないので、
何か役を通して少しでも関わることで、
私たちのことを知っていただきたい気持ちもあったのだと思います。
これらのPTAのお仕事は全て、
同行援護制度のガイドヘルパーさんにご一緒していただくことで
視覚障害がある母親の私も活動することができました。
このような制度を利用して社会参加できることに感謝です。
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